ナノテクで守る「古き良き」未来 ~文化財修復にかけるある研究者の物語~
時を超えて受け継ぐ文化の輝き
美術館で絵画を前にした時、あるいは古刹で仏像に対峙した時、私たちは時を超えた美しさと、それを現代まで守り伝えてきた人々の努力に思いを馳せます。しかし、紫外線、湿気、カビ、虫食い…文化財は常に様々な劣化の脅威にさらされています。この貴重な文化遺産をいかに未来へ受け継ぐか。その問いに対し、最先端のナノテクノロジーで挑む研究者がいます。
今回ご紹介するのは、文化財の保護と修復に応用できるナノ技術を研究している〇〇先生(ここでは仮に田中先生と呼びましょう)。穏やかな物腰の田中先生ですが、文化財の話になると、その瞳には熱い情熱が宿ります。
古いものへの憧れと、ナノとの出会い
田中先生が文化財に興味を持ったのは、幼い頃に家族と訪れたお寺で見た古い仏像がきっかけだったと言います。「何百年も前のものが、こんなにも力強く存在している。そこに宿る技術や思いに圧倒されました」。大学で化学を専攻する中で、歴史的な建造物や美術品が抱える劣化の問題を知り、「自分が学んだ科学で、この素晴らしいものを守るお手伝いができないか」と考えるようになったそうです。
ナノテクノロジーの世界に入ったのは、大学院での研究がきっかけでした。「ナノメートル、つまり1メートルの10億分の1というとても小さな世界を自在に操れると知って、大きな衝撃を受けました。この精密な技術なら、デリケートな文化財にも応用できるのではないか、と直感したのです」。文化財は、使われている素材や構造が非常に複雑で、一つとして同じ状態のものはありません。既存の修復技術では、文化財に負担をかけたり、オリジナルの風合いを損ねてしまうこともありました。田中先生は、ナノスケールの素材や技術を使えば、文化財へのダメージを最小限に抑えつつ、効果的な保護や修復が可能になるのではないかと考えたのです。
見えない盾で文化財を守る
田中先生の研究室では、主に文化財表面の保護や強化に応用できるナノ材料の開発に取り組んでいます。例えば、絵画の色あせを防ぐための紫外線吸収剤。これをナノ粒子として塗料に混ぜたり、あるいは文化財表面に非常に薄い膜として塗布したりします。ナノ粒子は非常に小さいため、肉眼では見えず、文化財の見た目や質感を損ないません。
また、湿気やカビから守るための撥水性や抗菌性を持つナノコーティングも研究されています。「木造建築や仏像は、湿度が高いとカビが生えたり、虫に食われたりしやすいんです。ナノレベルで表面の構造を制御すると、水分子が表面にとどまりにくくなったり、特定の菌の繁殖を抑えたりすることができます」。これは、例えば蓮の葉の表面が水を弾く性質を、人工的にナノ構造で作るようなイメージです。
試行錯誤の日々と、小さな成功の喜び
もちろん、研究は常に順風満帆なわけではありません。「開発したナノ材料が、文化財の素材と反応してしまったり、期待した効果が出なかったり…。失敗は日常茶飯事です」と先生は苦笑します。文化財は非常に貴重なため、実際に試す前に様々なシミュレーションや、古い木材の切れ端などを使った予備実験を何度も繰り返す必要があるそうです。また、効果だけでなく、そのナノ材料が何十年、何百年と長期にわたって安全であるかの評価も非常に重要で、気の遠くなるような検証が必要です。
しかし、苦労があるからこそ、成功した時の喜びはひとしおです。「あるお寺の古い木像に、私たちが開発した抗菌性のナノコーティングを試験的に施したところ、これまで悩まされていたカビの発生が劇的に抑えられたんです。その報告を受けた時は、研究室の皆で飛び上がって喜びました。自分の技術が、本当に役に立っていることを実感できた瞬間でした」。
研究室には、材料科学だけでなく、化学、生物学、さらには美術史や保存科学を専門とする様々なバックグラウンドを持つ学生が集まっています。それぞれが持つ知識や視点を持ち寄り、議論を重ねることで、文化財という複雑な対象に多角的にアプローチできるのだと言います。「学生たちとの議論の中から、思いもよらない解決策が見つかることも多いんです。研究は一人ではできませんから」。
研究室を離れても「隣人」との対話
研究室を離れた田中先生の素顔は、とても親しみやすい「隣人」そのものです。休日には、家族と地元の博物館や古書店を巡るのが好きだとか。「古いものに触れていると、新しい研究のアイデアがひらめくこともあるんですよ」。また、趣味はガーデニング。「植物の成長を見ていると、自然の作り出すナノ構造や、環境への適応の知恵に驚かされます。研究にも通じる発見があるんです」。
異なる分野の研究者や、文化財の専門家、修復家との交流も大切にしています。「私たちの技術が、本当に文化財の現場で必要とされているものなのか、現場の抱える課題は何なのか。それを知るためには、積極的に外に出て、様々な分野の人と対話することが不可欠です」。そういった「隣人」との対話の中から、研究の新たな方向性が見えてくることも多いそうです。
未来へつなぐ、ナノの架け橋
「私たちの研究は、文化財そのものに直接手を入れるというよりも、それを未来へ安全に届けるための『見えない道具』を開発している、というイメージに近いかもしれません」と田中先生は語ります。「先人たちが残してくれた素晴らしい文化を、私たちの世代だけでなく、さらにその先の世代にもそのままの形で見て、感じてもらえるように。そのための橋渡しを、ナノテクという技術で担えたら」。
田中先生たちの地道な研究が実を結び、いつの日か、各地の美術館や史跡で、ナノテクで守られた文化財を当たり前のように目にし、その変わらない美しさに感動する日が来るかもしれません。最新の科学技術が、私たちの「古き良き」文化を未来へと確かに繋いでいく。田中先生の情熱は、そんな希望に満ちた未来への扉を開いています。
私たちは、日常生活で直接ナノテクを意識することは少ないかもしれません。しかし、田中先生のように、それぞれの分野で真摯に研究に取り組む「ナノテクの隣人たち」の存在が、私たちの社会を、そして文化を、より豊かに、より確かなものにしているのです。