「窓」から逃げる熱をナノで止める ~省エネ窓開発にかけるある研究者の挑戦~
窓から逃げる熱、その見えない大きな損失
私たちの暮らしに欠かせない窓は、太陽の光を取り込み、外の景色を見せてくれる大切な存在です。しかし、快適な室内環境を保つ上で、窓は大きな課題も抱えています。それは、「熱の出入り口」となってしまうことです。
冬、せっかく暖めた部屋の暖かさが窓からどんどん逃げていく。夏、外の暑さが窓を通して容赦なく室内に流れ込んでくる。この窓からの熱の出入りは、冷暖房の使用量を増やし、私たちの光熱費を押し上げるだけでなく、地球温暖化の原因となるCO2排出量の増加にも繋がっています。
この見えない熱の流れを、「ナノテクの力」で食い止めようと挑戦している研究者がいます。ここでは、そんなある研究者の、窓と熱に関する探求の物語をご紹介しましょう。
小さな世界に見出した、大きな省エネの可能性
今回お話を伺ったのは、○○大学のナノ材料研究所に所属する、田中健一(たなか けんいち)先生(仮名)です。穏やかな笑顔が印象的な田中先生は、幼い頃から身近な自然現象に興味を持つ少年でした。特に、冬の朝に窓ガラスにできる結露を不思議そうに眺めていたといいます。
「結露って、水蒸気が冷たいガラスに触れて水になる現象ですよね。でも、そのガラスの向こうには、外の冷たい空気が、そしてこちらの暖かい空気がある。この『温度差』と、それを隔てる『ガラス』の存在が、結露を生む。このシンプルな現象の中に、熱の移動という物理の面白さを感じていたのかもしれません」と田中先生は振り返ります。
大学で物理学を専攻し、その後ナノテクノロジーの世界へと進んだ田中先生。ナノテクノロジーとは、1メートルの一億分の一、つまり髪の毛の太さの約8万分の一という、原子や分子が見えるか見えないかといった「ナノ」のスケールで物質を操る技術のことです。この極めて小さな世界では、私たちが普段目にしている物質とは全く異なる、不思議な性質が現れることがあります。
田中先生が注目したのは、このナノスケールでの物質の性質が、光や熱の振る舞いに大きな影響を与えることでした。「窓ガラスは、光を通すために透明でなければなりません。でも、熱を逃がさない、あるいは入れないようにしたい。この相反する性能を両立させる鍵が、ナノスケールにあると考えたんです」。
見えない「ナノの膜」が窓の常識を変える
田中先生の研究室では、窓ガラスの表面に、人の目には見えないほど薄い「ナノの膜」を形成する研究が進められています。このナノの膜は、特殊なナノ粒子や構造を組み合わせて作られます。
「目指しているのは、例えるなら窓ガラスに『高性能な見えない鎧』を着せるようなものです」と先生は説明します。「可視光、つまり私たちの目に見える光はそのまま通して、部屋を明るく保ちます。でも、熱に関わる光、特に遠赤外線と呼ばれる波長の光は反射したり吸収したりして、熱が外に逃げるのを防ぐんです。夏の暑さの原因となる日射しの熱も、効果的にカットできるように工夫しています」。
このナノ膜技術が実現すれば、どのような変化が期待できるのでしょうか。
「一番分かりやすいのは、やはり省エネ効果です」と田中先生は力を込めます。「既存の窓ガラスに比べて、格段に熱の出入りを抑えることができますから、冷暖房の使用量を大幅に削減できる可能性があります。これは、電気代やガス代の節約に繋がるだけでなく、発電に必要なエネルギーを減らすことになり、結果としてCO2の排出削減、つまり地球温暖化対策にも大きく貢献できます」。
さらに、窓辺の快適性も向上します。「冬、窓の近くにいてもひんやりしない、夏、窓からのジリジリとした暑さを感じにくい。そんな、一年を通して快適な室内環境が実現できます。高齢者の方や小さなお子さんがいるご家庭でも、安心して窓辺で過ごせるようになるでしょう」。
試行錯誤の連続、それでも諦めない情熱
もちろん、研究の道は平坦ではありません。理想的な性能を持つナノ膜を作るためには、どのような材料を、どのような大きさや形で、どのように配置すれば良いのか、無数の可能性の中から最適な組み合わせを見つけ出す必要があります。
「実験は試行錯誤の連続です。狙った通りにナノ粒子が並んでくれなかったり、膜が均一にならなかったり。ちょっとした条件の違いで、性能が全く変わってしまうこともあります」と田中先生は苦笑します。「何ヶ月も実験を重ねて、ようやく少し手応えを感じたと思ったら、また次の課題が見つかる。時には壁にぶつかって、どうすれば乗り越えられるのか、研究室のみんなで頭を抱えることもあります」。
しかし、そんな時でも、先生の研究に対する情熱が揺らぐことはありません。「この研究が成功すれば、私たちの暮らしがもっと快適に、そして地球環境にももっと優しくなる。その可能性を信じているから、頑張れるんです。学生さんたちが新しいアイデアを出してくれたり、うまくいった実験結果が出た時には、本当に嬉しくて、疲れも吹き飛びますね」。
研究室では、学生さんたちとの活発な議論が日常的に行われています。「若い彼らの柔軟な発想には、いつも刺激を受けています。時には、私の凝り固まった考えを打ち破ってくれるようなアイデアが出てくることもあって、面白いですよ。研究は一人ではできません。チームとして、お互いを支え合い、高め合いながら進んでいくものだと感じています」。
研究室を離れて、素顔の田中先生
研究に没頭する一方で、田中先生には研究室を離れた時間も大切にしています。趣味は、近くの河原を散歩すること。
「研究中は、どうしても頭の中が実験のことでいっぱいになってしまいます。散歩していると、ふと視界が開けるというか、凝り固まっていた考えが解きほぐされることがあります。川の流れを見ていると、複雑な研究も、突き詰めればシンプルな現象の組み合わせなのかもしれない、なんて思ったりしますね」。
また、家族との時間も先生の活力源です。「家に帰れば、研究のことばかり考えているわけにはいきません(笑)。子供たちが学校であったことや、友達との出来事を話してくれるのを聞くのが楽しい時間です。彼らの屈託のない笑顔を見ていると、この研究を頑張る意味を改めて感じます」。
奥様も、先生の研究を温かく見守ってくれています。「遅くまで研究していると心配をかけますが、『頑張ってね』といつも応援してくれます。家族の理解とサポートがあるからこそ、研究に打ち込めているのだと感謝しています」。
未来への窓を開くナノテク
田中先生が見据えるのは、このナノ膜技術が広く普及し、当たり前の窓として使われる未来です。
「将来的には、今ある窓に簡単に後付けできるような、もっと手軽な製品にしたいと考えています。そうすれば、建て替えやリフォームをしなくても、多くの家庭で省エネ効果を実感していただけるようになります」。
さらに、この技術を応用することで、窓だけでなく、車のガラスや温室など、様々な場所で熱のコントロールが可能になるかもしれません。
「ナノテクは、私たちの想像を超える可能性を秘めています。目に見えない小さな世界を操ることで、私たちの暮らしを、社会を、そして地球環境を、より良いものに変えていくことができる。私はそう信じて、これからも挑戦を続けていきたいです」。
田中先生の研究は、単に高性能な窓を作るだけでなく、私たちの未来を暖かく、涼しく、そして持続可能なものにするための、希望の光のように感じられました。目には見えないナノの世界で繰り広げられる、情熱あふれる研究者たちの挑戦が、私たちのすぐそばの「窓」から、静かに未来を変え始めています。